ちょっと時代おくれな社長の一言

ひとこと ~第八回~

昭和27年11月 一家5人で信州から高円寺に出てきました

当時の住所は杉並区馬橋四丁目で、今は高円寺北三丁目になっています。

父と母が35歳と32歳、私が6歳で弟が4歳と2歳でした。父は手に何の職も

なく、仕事の当てもない状態で出てきたわけですから、ぶっつけ本番ずいぶん

無茶なことでした。そんな大変な生活の中でも母は私を幼稚園に通わせました。

白梅幼稚園という名前でした。年が明けて昭和28年4月に前年にできたばかり

の区立馬橋小学校に入学しました。学校の隣に気象部(戦前は陸軍気象部)あと

地の広い原っぱがあり、そこで凧揚げなどして遊びました。当時の子供の遊びは

野球か相撲、べーごまか縄跳びなどでした。馬橋小学校は木造モルタルの2階建

校舎が一棟と平屋の小さな図書館だけでした。生徒の数は1学年100人以上いたと

おもいます、戦後のベビーブームで子供の数は多かったと思います。しかし、学校は

できたばかりで教室も足りなかったため、一つの教室を午前と午後で別の生徒が

使っておりました、たしか、二部授業と言っておりました。

まだまだ日本中が貧しい時代でした。父もいろいろな仕事をした後、人に勧められて

建築を始めたのが昭和34年ごろ、それから今日に至っております。父は2年前に

94歳で亡くなりましたが本当に偉大なオヤジでした。

 

子は親の背中を見て育つといいますが、私の背中は、、、、、、、、

 

平成26年4月                          つづく

 

社長の一言TOP